
「まちがえる」こと
人は死ぬまで、この恐怖と隣り合わせに生き続ける
次への挑戦の足枷になってしまうこと
足が動かなく、逃げ出したくなること
生きることすら怖くなってしまうこと
ただそれは時として、自分の目標に近付くことのできるスタート
「失敗は成功の元」
私は小学一年生の頃教師にもらった言葉をこの曲でふと思い出す
やり直せば良い それだけでいい

ボタンをひとつ掛け違えて あとで気がつく情けなさも
最後まで聞かず得意げに 早とちりで外す後悔も
仕事をしていれば、学校生活を送っていれば幾度となく訪れる「まちがい」
自分の中で大きなことも、ちょっとした失敗も、積み重なって仕舞えば、キャパシティを超え無性に苛立ってしまい、自分を責めることもある
失敗しないようにまちがえないようにと
恐る恐る進んでいき、失敗してしまいそうな時には
石橋を叩いて渡らない
安全な方へ、苦しまない方へと自然と体が向いてしまうのは
人間なのだから仕方がない
そんな情けなさや後悔もひっくるめ進んできたものの
それでも人間は間違えてしまうもの
それでも
まちがえたまちがえたなら やり直すだけそれでいい
まちがえたまちがえた もう間違えなければいい
まちがえてまちがえてまた新しい間違いもして
まちがえてまちがえて もう 間違えなければい
まちがえたらやり直せばいい
もう一度挑戦すればいい
当たり前だけど、当たり前じゃないほど難しくて苦しいこと
そんな当たり前を自分が持っていれば、人のまちがえにも寛容になれる
そうすれば、人も自分のまちがえに優しくなってくれる
まちがえても大丈夫
そんな環境は、その思考一つで少しだけ変えていける
一つずつ一歩ずつ、まちがえを直していけばいい
正しさを振りかざすこと まちがえを認めること

正しさをいくら口にしても 目の前では泣いているのなら
本当にそれは正しいかなあ もしかしてと気がつきたいなあ
「まちがい」の反対は「正しさ」なのだろうか
人へ正しさを伝える、それは時として何よりの暴力となってしまう
正しさを伝えたいのに、伝えたいことも伝わらない
正論を突きつけられたその相手は、八方塞がりの状態であることに気づくことにも難しい
『本当にそれは正しいのか』
そういつでも、自分に問いかけ続けなければ、自分が間違っていることにも気付かぬまま間違い続けてしまう
『もしかして』
ともう一度自分の行動や発言に見直していくことも、やり直していく方法の一つ
本当に間違える前に

『まちがい』
それは、あくまでも自分の中の秤で見つけたモノだということ
自分自身の『まちがえ』から直していくこと
自身の『まちがえ』を認めたその時が正すことのできるスタートなのだと
そう伝えてくれる楽曲
いつか本当に間違える前に気づいてやり直していけるように
謝ることって大事ですね
あと、優しい言葉ね