あと数日で大きく変わるであろう環境に
もはや自覚もないまま、時が一刻と迫る今日この頃

「目の前にある景色がきっといつまでも続くだろう」なんて勘違いをいつまで続ければ気が済むのだろう
学生時代には、6年と3年と4年といろんな時間を過ごしながらも、その時々の環境に身を置き、一喜一憂しては、煌びやかな生活を送る人もそれを側から見ている人もいただろうに
あと数日もすれば
目の前にいるこの人とは、きっとこれからの人生、2度と会うことのないだろうと気付いても
なんだか遠い先のことのようで
この当たり前に続いた生活を手放すには
あまりに非現実的すぎる
きっといつか自分も
大きく変わる環境に戸惑い
当たり前の生活や環境が恋しく、戻りたいと思える過去に出会っていくのだろうか
「後悔」はいつだって後ろ向きな意味で使われ
私もその1人、その2文字を背負わないように生きていっているつもり
だけど、そんな「後悔」を突きつけられるほどに、大切で戻りたい過去があって
やり直したかったシナリオがあったとするのなら
きっとこれからもどんな道にだって変えていける気概がその人には生まれるのだと思う
そうであるならば、過去を振り返った「後悔」にだって価値はある
今でも遅くない
だから、今のうちに、生きているうちに会って
パピコでも分け合えばいいんじゃないだろうか
雪見だいふくでもいいよ。知らんけど
別れは別れであって
始まりは始まりで存在する
いつでも隣り合わせではいないその両者に、それぞれの価値を自分で見つけていけばいい
と、別れの自覚がないままに
鼻と耳の痒みと格闘しながら過ごしていく