
朝目覚める
その目覚める私は、必ず私である当たり前
その私って誰が決めた私なんだろうか
私が私である理由を確かめる方法は、なんだろう
目で見る腕や脚
聞こえてくる自分の声
膨らむ肺に、揺らす鼓動
そのどれもは私のものだと
私の全てをくれた存在
私たる証明だと見つけてくれた存在
近すぎて見えない
近付きすぎて視界から外れていったあなたがために
僕が僕であるかどうか知る術を
いつだってここにある腕や耳や目を探したことはない
何かを探すのには必ず使うこれらを、僕は、いつかなくなるなんて考えたこともない
ある朝目覚めれば瞳がなくなってた
探すにも探せない君がないと探せない
仕方なく手探りしようとするけども腕もない 音の頼りを聴こうとするが澄ます耳もない
僕が僕であるかどうかさえももう知る術もないと知った僕は何者 もうないもの?
僕が僕であることを確かめるためには、この目を使う
それでなきゃ、腕を耳をこらすけど、そのどれもがなくなってしまう可能性
そんなこと起こるはずもないと、考えもしなかったけど、信じざる負えない
だって、それ以上に悲しくて、苦しくて、悔いきれないものを無くしてしまったのだから
「いつもここにいたよ」ってさ笑う声が悲しくて
そばにいたいと願えば願うほど 視界からは外れてて
「いつもここにいたよ」ってそうそれはまるで泣きぼくろ
だからきっとこれからは毎朝 起きてさ確かめるから
「いつもここにいたよ」って笑ってくれていたあの声に
いつまでもそばにいたいと願って近づくほど、近すぎて視界から外れていく
「いつもここにいたよ」って言ってくれていたあの声は
まるで泣きぼくろのように、自然に、あたかもあるのが当たり前で僕の特徴のようで
だから、これからは必ず、あることを確かめるから
僕を僕と証明してくれる君に手を伸ばすから
僕を初めて出会わせてくれたキミと 2度目の出会いを
いつだってそばにいたキミの姿形を問われても
思い出せないほど当たり前にあるキミ
いつもそこにいてくれて、僕に触れてくれて、存在していることを確かめてくれていたキミのことを
探したことなんてなかったのに
いつか居なくなるなんて、考えもしなかったのに
距離がものを言うなら鼓動を僕とするなら
この腕よりも耳よりも近くに君はいたから
響き鳴る鼓動が僕だというのなら
腕よりも目より耳よりも近くにキミが居てくれて、その腕の中に目の中にいて、僕の鼓膜を響かせてくれていた
この広い世界から、僕のこの左心房を選んでくれたんだから、キミは僕の一部と考えてもおかしくはないんじゃないか
弱音も迷いも愚痴も隠さず見せてきた僕
隠し事すら勿体無いほどに、キミと一緒にいて、キミがそばにいて
同じ景色を見ながら、同じ未来を想像して
当たり前に、とにかくキミがキミであることを僕が証明したい
この眼でこの腕で君のこと見つけたんだよ
そして君で君の手で ねえそうだよ僕は僕の形が分かったよ
僕は僕とはじめて出会えたの
僕のこの目でこの腕でキミを見つけたんだ
キミに触れた時、確かにキミはキミであると
それと同時に、キミのその手が僕に触れた時、僕は僕の形がわかったんだよ
僕が僕であることなんて確かめようがないこの世界で、キミが僕に『僕』をくれたんだよ
いつだってここにあるこの腕や耳や目を僕は探したりなどしたことはないけど
何かを探すのにはいつも使うくせに
いつかなくなるなんて考えもしないんだ
「きっとこれからはね」って喉まできたその声を
僕はどこに放てばいいの
「いつもここにいたよ」ってその声を探すけど、どこにも見つからない
僕ら、二つで一つになれればと願って願ったあの距離を
近付きすぎて見失っていたたくさんのものを、なんで今頃になってこの記憶は語るんだろう
きっと、一つが二つになった僕らに違いない
だから、この世ですぐ出会うことはできたんだ、一つになろうとすることができたんだ
だから、もう一度、あともう一度だけ
不時着した先にきっと出会えるから
”ものもらい”という題名
大切なものは、失って初めて気づく
人は、わかっていながらも同じ間違いを何度も何度もする
大切なものほど当たり前になっていて、無くなることの危機感も怖さも忘れてしまう
そんなことを説いてくれる歌
いろんな解釈の仕方があるのは、詩の面白いところですが、RADは特にですね
この楽曲も、ところどころの詩で、浮かぶ情景が少し違うので、聞き手の感じ方は様々
この「ものもらい」っていう題名も、モノを貰う人
実際の症状でもあるものもらいでも、腫れて初めて見える瞼であり、その存在を確認できる
また、その遮られた視界で、普段の視界が当たり前ではなかったことがわかる
と言ったように、有る事無い事、いろんな考察のし甲斐のある楽曲なのがこの『ものもらい』という作品ですね