
人は、何処から来て、何処へ行くのか
世界の秘密は、さまざまな形で私たちにそのヒントを示してくれている
風薫る匂い、鼓膜を揺らす音、肌から伝わる温度
そう、たとえば、あなたの手のひらにある小さな物語の中にも
誰かに見つけてもらうために、私たちは、光る幽霊となる
生きることに意味を持つために、我々人間たちの永遠のテーマに触れる
海の壮大な世界を表現し、圧倒的迫力のアニメーション映像作品
原作:五十嵐大介『海獣の子供』主演:芦田愛菜

五十嵐先生による圧倒的画力で生み出された漫画『海獣の子供』
リアリティかつ何処か不気味な世界観。不思議な世界の中にも確かにある現実
その世界観をそのまま映像化してくれ、アニメーションならではの海の表現、動きと音でその美しさを見せてくれる
一夏の思い出の中にある、数々の波の音は、私たちに生きるヒントをくれる
『海』と『空』の境界線
暑く煌めく夏の日
跳ぶように泳いだあの一夏に出会った二人の不思議な少年たち

生まれながらにして、海獣の異名を持つ『ジュゴン』に育てられた二人
彼らは、姿形は人間と変わらず、言語も喋る それでいて、身体は海の中の環境に適している
人智など到底及ばない二人
自分たちが何者なのか、何処へ行くのか
その答えを探すために、生きる
美しく、何処か儚い存在に、主人公:琉花は、あの日、あの時に見た『海の幽霊』のように惹かれていく
自由に泳ぐその姿を見ていると、遥か彼方、宇宙にまで届くような神秘的な風景を浮かべさせる
全体の15%程しか解明されていないと言われる、海
地球上の70%程を占めるその大部分は、未だ人の手の内ではなく、深海となれば宇宙よりも探索が難しいと言われる
それでも、人はその不確かなものに手を伸ばそうと、あらゆる手を使うも
人間が持つ科学の先で生きる二人は、人の手など触れてはいけない
人が作り出すエゴイストな世界に、地球上の頂点だと思い上がる人間の手には、余るほどの存在
人間か、海の存在か
『海』も『空』もそして『琉花』も
自分の存在を相手の存在を確かめながら、そっと手を握る

一緒に海を泳いで、魚に触れ、天を仰ぎ、星に手を伸ばす
泳ぎ方も、星が輝く理由も、海の美しさも教えてくれ
目が眩むような体験に連れて行ってくれる
そして、次第に気付いていく。『あなたは生きている』というその実感を。何処のものかなど関係がなく、ただ目の前にあなたがいるということを。
海の詩 祭りの詩 生きる美しさ
私たち人間が、空気を振るわせ伝え合う情報は、思ったことの半分も伝えられない
大切なものほど、言葉にならない
海に生きる鯨たちは、人間の言葉の比にならないほどの情報を、遥か遠くの海の中でやり取りをする
見たままに、思ったままにその詩を届けることができる
『空』がいなくなったあの時
琉花は、何を感じたのだろうか。恐怖の中で光る『空』に、伸ばした手は届かず、一人でに消えていった
あの日見た『海の幽霊』の意味を少しずつ知ることになる

生きる意味を消える意味を
そして、光る意味を
『海』と共にでた最後の旅
祭りの中で歌われる海の詩を心中に受け止め、琉花は『空』と同じところへ向かおうとする
しかし、その手をあの時のように『海』が掴んでくれる
代わりに、光となり、輝き舞う
海の詩の中で見た、あらゆる記憶と情報
琉花の今まで、そして、『海』と『空』の今まで
苦悩の中で確かに生き抜いてきたその時間を互いに伝え合うことが出来たのではないか
その記憶を思いを受けた琉花
だから、琉花の中で、『海』も『空』も生き続ける
その重圧や苦しみは計り知れないかもしれないけれど
それでも、光るモノに惹かれ合ったあの瞬間、手を伸ばさざる負えなかったあの瞬間
あの日、星が降る夜に繋いだ手の温もりは忘れない


だから、生きていける
海の美しさを映像と音楽で楽しめる作品

壮大なテーマのもと進む物語
見る人それぞれの考察に感じることは、その分だけ存在する作品
原作の魅力と迫力はもちろんのこと、物語の魅力もさることながら、やはり『映像』としての魅力がとても高い
波の表現に、光の表現
それに対比する夜空の星々の輝きも見る人の心をグッと掴む
何より音楽が『久石譲』によるものなのだから
感情を揺さぶられて当然
主題歌『海の幽霊/米津玄師』による楽曲もこれ以上ないほどに、この映画のための楽曲なため
それら全てが相まって、一つの『映像作品』としての魅力は私にとって特別なものとなっている