凝り切った腰を伸ばそうと両手を上にあげるも、肩から異音が鳴り、右手をそっと添えたまま茜色の空を見上げた今日この頃

「がんばれ」や「まけるな」って言葉を真っ向から受け取れなくなったのはいつからだろう
「笑顔でいてほしい」「幸せであってほしい」って眩しい言葉が直視出来ないようになったのはいつからだろう
そもそも捻くれていた幼少期からはっきり受け止めていたか定かではないものの
煌めく言葉たちが眩しく感じないほどに、笑っていた時があることは違いない。たぶん
「いやいや、こんな輝いた歌詞、今の自分には」
なんて、目を背けては、歪んだ道を歩いていることに酔いしれて、目を背けている自分にはきっとなりたいなんて思って無かったろうに
いつだって誰だって、ハッピーエンドが好きな感性をもっていた時はあるのに
いつからか、バッドエンドを狂おしい程求める時が来てしまうのはきっと仕方のないこと
言葉以上に輝いていた自分に
煌めく言葉に寄り添いを感じたあの日
言葉に縋る余裕もない程に挫折した日
自分の言葉が消えていくことも知れず、年を重ね
いつしか、言葉を見失う日々
でも、きっといつか
落ち着いたいつの日か、そんなあらゆる言葉たちを
煌めく言葉たちをしっかり見つめられる時がきっと来るのだろうと
その言葉をかける者たちの、背景に目を向ける
そう、考えられる人でいたい
なんて淡い期待を抱いている
でも
すべての言葉に時間をかけ一つ一つ掘り下げていっては、いつの間にか牛丼屋の値段も上がっていってしまう
だからせめて、笑いあう言葉を出していっては、否定的な言葉を吐き捨てるのなら、気の知れた仲間同士で完結させてほしい
私が吐き捨てるこんな言葉たちも
誰かにとっては理想郷の気持ちの悪い言葉でしかなく、そう気付いたときにやはり、あれらの言葉には意味と背景があるのだと気付くことが出来る
左肩の痛みと苦しみに耐え綴った言葉が、字を追ってくれた人に届けばいいと
この言葉たちを見ては
そう、思うことができる。