
仮面ライダー龍騎
2002年に放送された、平成仮面ライダー三作目。当時驚いた人は多かったであろう、複数人仮面ライダーが登場し、その数は総数13人。その異色さは、未だ続く仮面ライダーを知っていてもわかる。
私は、仮面ライダーというものが子供の頃から好きで、毎週欠かさず父親と見ていたのを覚えています。その中でも、この『仮面ライダー龍騎』という作品は群を抜いて好きでいて、何か他の作品とは比べ物にならないくらい、愛が強いです。
なぜ、そこまで『仮面ライダー龍騎』という作品に引き込まれたのか、少し語っていきたいと思います。
後半、ネタバレ注意です
仮面ライダー龍騎という物語
『仮面ライダー龍騎』とは、2002年に放送された、仮面ライダーシリーズの一つ。
鏡の世界を舞台に、選ばれた者のみに与えられる『カードデッキ』を使い変身する。そして、戦う相手は、2通りある。
一つ、鏡の中に存在し、人を襲う『モンスター』と戦う
二つ、『仮面ライダー』である
前者は、皆さんが想像する仮面ライダーだと思います。凶暴なモンスターから人々を救うヒーロー。それが、子供達に愛され、憧れる所以であると。しかし、龍騎が他と違うところは、後者の”仮面ライダー同士”の戦いがあることである。
先ほど説明したように、『カードデッキ』をもらえるのは、選ばれた者のみである。では、選ばれる基準とは?
それは、強い「願い」を持った者。その「願い」を掲げ、奮い立ち、13人のライダー同士で戦を続け、最後の1人になった時に、その「願い」が叶うというシステム、つまり「バトルロワイヤル」になっている。それぞれの「願い」のために戦い続ける姿に引き込まれ、「正義とはなんなのか」という永遠のテーマに苦悩する物語は、龍騎の魅力になります。
衝撃の結末
とは、仮面ライダー龍騎という作品にある言葉ではないか。そう思うほどに最後まで見る価値のある作品だと思っています。
仮面ライダー龍騎・城戸真司と仮面ライダーナイト・秋山蓮
ちょっと余談なのですが、私は、この物語に主人公という位置付けは無いと考えています。それぞれが願いを持ち、それを糧に戦う。その姿には、どの仮面ライダーも主人公になり得る存在なんだと強く思います。
まぁ、そんな持論はさておき。この物語のタイトルは『龍騎』ですので、主人公は、龍騎なのでしょう。その龍騎に変身する、「城戸真司」というキャラクター。
「城戸真司」
まっすぐな性格。あえて劇中の言葉を使うと「真っ直ぐなバカ」というと伝わるのではないでしょか。そして、優しく、人を想い続けるキャラクターはとても魅力的に映ります。その真っ直ぐさが、この物語に大きな影響を及ぼします。


「秋山蓮」
仮面ライダーナイトに変身する、秋山蓮。落ち着いた性格ながらも彼の抱える「願い」に一筋を通し熱い姿もみせ、戦い続ける。ひょんなことで城戸真司と出会い、彼の考えに影響されていく心情が見えるのも、この作品のいいところになります。
因みに、仮面ライダー史上、一番カッコいい仮面ライダーは、ナイトです。誰がなんと言おうと、ナイトです。マジカッコイイ。


※ここからネタバレ※
願いの末に彼らが見たもの
真司は、ライダーシステムの仕組みを理解し、”戦いを止めることの意味”に気付いた時、その選択を迷い続けます。蓮は、世界を敵に回しても守りたいものがあり、葛藤しつつも自分を信じ、戦い続けます。
「最後まで彼女の選択を尊重したい真司」
「どんな形であろうと、生きていて欲しいと考える蓮」
一見対照的な2人は、相互に影響し合い、少しずつ変化していきます。その姿には、視聴者も心を動かされ、考えさせられます。「願い」とは、「自分が信じるもの」とは、と。
真司は、悩み続けます。最後の最後まで、悩みます。「自分は正しいのか」と
他のライダーたちの「願い」を知り、それらを否定できない、間違ってなどいない。と
悩みながらも、真司は、熾烈な戦いを続けます。
そして、やっと答えが見つかったと思った時。

モンスターとの戦いの末、命を落とします。
彼の最初で最後に出した、本当の「願い」を蓮に伝えます。
その「願い」が、もしかしたら人を傷つけたり、苦しいことになるかもしれない
それでも、彼は、ライダーの1人として、「願い」を確立させました。それが正しいか間違っているかなど関係なく。
その、言葉の受け、蓮は最後の戦いに挑みます。
編集長が語る真実
以上が原因不明の失踪事件の真相であり、仮面ライダーと名乗る人間たちの戦いの真実である
この戦いに、正義はない
そこにあるのは、純粋な願いだけである
その是非を問える者は・・・




編集長が綴った言葉は、この物語の真理をついている。当事者ではないのに、なぜここまで理解できるのか、編集長の凄みがわかるところなのですが。
善も悪もない戦い。なんだか、仮面ライダーぽくないと思われがちですが、そもそも戦いとは、互いの正義のぶつかり合いで、その是非を語るのは無粋なことだと。
「龍騎」はそこにも焦点を当て、視聴者に問いかけている作品なのではないか。
編集長の言葉には、全50話の数多の思いが、秘められていると考える。
この物語における、真司の存在
神崎の目的が達成しないとループするこのシステムに、真司という存在は、大きなものになったはず。ゆいの選択を尊重すべく、戦いを止める存在は、他のライダーにとっても、神崎にとっても。
最終シーンにおける、ライダーのいない世界が実現したと私は思う。それは、蓮の願いなのか、ゆいの願いなのか、はたまた真司の願いなのか。
おわりに
さてここまで語ってきました、仮面ライダー龍騎ですが、私は改めてこの作品に出会えて良かったと想います。
もちろん、他の仮面ライダー作品も好きなのですが、「龍騎」だけは、戦いがメインではなく、人間ドラマをじっくり見ているような感覚なので、一味違う楽しみ方に私はなります。
同じように仮面ライダーが好き・龍騎が好きと思ってくれる人にこの記事が読んでもらえたら幸いです。
最後に
浅倉威は、子供にとってトラウマすぎ
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